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中野人事法務事務所

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忙しくなってきたぞ〜!(2006/8/1《中野 泰の陽だまり日記より》)

今年の夏、忙しくなってきました。

私の職業は人事や法務に関するコンサルタントでして、 社会保険労務士や行政書士の資格を活かした仕事をしています。

社会保険労務士には「顧問報酬」という、会費制のようなサービスがありまして、 一定の金額を毎月お支払いいただければ、 大抵の相談にはお応えします、というようなことをしています。

月々数万円程度ですが、これが10社集まれば毎月数十万円の収入が確定します。 これがサラリーマン的に言えば「給与」に相当します。 一方、その月だけの単発業務や、数ヶ月という期間の業務をご依頼いただくことがあります。 これがサラリーマン的に言うと「賞与」に相当します。

顧問報酬について言うと、企業の規模にもよりますが、 ご相談がある月もあれば、ない月もあります。 ただ、顧問契約を締結する時には必ず困っていることがあるからこそ お声掛けいただいているわけですので、 まずは採算度外視でお客様の気持ちがスッキリするまで 徹底的に解決への道筋をつけていきます。

ご相談がない月もある分、ご相談がある月については またまたお客様の気持ちがスッキリするまで、完全解決を目指して お客様と一緒に解決の道筋を作ります。

私の場合、ある意味商売に向いていないところがありまして、 いったん仕事を引き受けると、お客様からいくらもらっていようと 採算のことは全く考えずに、全力投球します。 商売人というより、職人といった方がいいかもしれません。

でも、お客様が喜んでもいないのに、お金だけを受け取ることはできませんし、 お客様の笑顔を見ることや、私との信頼関係を実感できる時が一番の仕事のやりがいなので、 私の場合はこれでいいんだ、と自己完結しています。

ところで、平成15年11月にオープンしたばかりのためか、 売上構成を見ると今までの歩みや特徴が分かります。

実質的に活動が始まった平成16年は自己改革の年でした。 売上はゼロではなかったものの、とても大きな声で言えるような売上ではありませんでした。 住宅ローンも抱えているため、生活費をいくら切り詰めても毎月数十万円の赤字。

サラリーマン時代には毎月25日に一定の額が振り込まれてきましたが、 そういう安定はもはや私にはないことを実感しました。 「ここが地面だ」と潜在意識で思っていた最低ラインがパックリ割れて、 冷たい海の中に放り込まれたような感じでした。

その時に思いついたのが、「世の中理論」。 今まで世の中から有形無形のものをもらってばっかりで、 自分からは何も働きかけてこなかったんじゃないか、と思い至りました。 だから今度は自分から少しでも働きかけるようにやってみよう、 そうすれば、きっと巡り巡って自分に返ってくるんじゃないか、と考えたのです。 お金は全くありませんでしたが、お金のことは考えずに、 「お金は後からついてくる」と言われていることが本当かどうか、実験してみようと思いました。

巡り巡るのはビジネスだけの話とは限りません。 プライベートで自分がやったことが 巡り巡ってビジネスに影響してくるかもしれないからです。 その逆もありです。

そこで、「飲み会に誘われれば必ず参加する」ではなく、 「飲み会をやりたいグループがあれば、幹事に立候補する」等、 プライベート面でも行動を変えました。

「損か得か迷ったら損を選べ」という言葉を思い出したり、 「見えるものより見えないものを大切に」という言葉を思い出したりして、 自分の行動パターンを返るように努力しました。

それが平成16年でした。 結果は平成16年の12月に表れました。 こんなに仕事が舞い込んできたことはない、というくらいの仕事の量と こんな仕事やったことがない、というレベルの高い仕事が押し寄せてきました。

この波を乗り切れば、必ず次のステージに進めると確信し、 歯を食いしばって何とか12月を乗り切りました。

不思議なことに、ほとんどが単発のお仕事だったわけですが、 平成17年になってもその勢いは変わらず、 生活面の苦境を脱することができました。

平成17年は基盤作りの年でした。 1年かけてようやく「普通の社会人」になったからか、 次々と顧問契約の締結ができるようになりました。

平成17年の終わりには顧問報酬だけで生活できて、 若干の貯蓄(住宅ローンの返済?)ができるようになりました。

平成16年は「冷たい海に放り込まれた」感じでしたが、 無我夢中で足や手をバタバタさせているうちに、 無駄な力を抜けば自然と浮いてくることが分かってきたり、 体もあったまってきて、海が冷たく感じなくなったことを実感しました。

17年の12月、またしても12月がブレークの月になりました。 自分が一生懸命やっても全く追いつかないくらいの仕事量が押し寄せてきました。 昨年の12月を思い出し、「この波を乗り切れば、必ずもう一段高いところに行ける」と確信し、 歯を食いしばって頑張りました。 結局、12月31日の午前中でようやくその年の仕事に切りをつけることができました。 ところが、その波は単なる「第一波」でした。 1月、2月、3月と「過労死しちゃうぞ〜!」という位、 必ず前月よりも高い波が押し寄せてきます。

一人で仕事をすることの限界を感じました。

独立した理由はいくつかありますが、その理由のひとつに 「他人からマネジメントされたくないし、他人をマネジメントしたくない」という ある意味消極的な理由もありました。だからずっと一人でやってきました。 でも、その姿勢を貫き通そうとすると、 せっかく声をかけてくださる方のご注文をお断りすることになったり、 今承っている仕事の質の低下を招いたりする危険性があることに思い至りました。

他人のマネジメントは正直苦手意識があるんですが、 そういうことよりもお客様の期待に応えていきたい、という思いが勝ちまして、 人を採用する決心をしました。

4月、5月と相変わらず大変でしたが、その2ヶ月を救ってくれたスタッフが現れました。 そのスタッフがいなかったら私の仕事は回っていませんでした。

私に至らない点もあって、そのスタッフとは2ヶ月で縁が終わってしまいましたが、 そのスタッフのおかげで、他人をマネジメントする面倒よりも、 はるかに多くのプラスの部分があることを実感することができました。

不思議なことに、それが分かったとたん、 売上は減らないのに、仕事にかける時間がググッと減りました。 神様が「中野はそこまで追い込まれないと分からないヤツなので、 トコトン自分の限界を感じさせて、人と一緒に仕事をすることの楽しさが分かるまで 追い込んでやるぞ〜。」と仕組んでいたかのようでした。

で、ようやく本題。(本題までが長すぎ〜。)

いつも8月は顧問報酬がメインで、それに若干の単発契約が入るという感じだったのですが、 今月は就業規則作成のご依頼、人事制度構築のご依頼、 「人材と労務管理」というテーマでの講演依頼等、仕事がドカドカ押し寄せています。 にもかかわらず、12日から20日までは家族のために当てようと考えていますので、 その前後が死にそうなほど忙しくなりそうです。暑い夏も頑張りま〜す!

以上、たった5行の本題でした(笑)。

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